一部神社の混雑緩和の観点から、令和6年正月の日本橋七福神めぐりは
縮小をして開催いたします。
〇日本橋七福神授与品(色紙・宝船)について
※茶ノ木神社では七福神めぐり授与品の頒布はいたしません。
〇各神社 ご参拝は例年通り可能です。
〇正月期間中は各神社とも激しい混雑が予想されます。
境内への入場制限等行う場合がございます。なにとぞご了承ください。
なお、ご参拝の際は下記事項をお読みいただきの上、ご理解くださいますようお願い申し上げます。
※今後、社会状況に伴い予告なく開催を中止・変更することもございますので あらかじめご了承願います。
日本橋七福神各神社
七福神への信仰は、室町時代よりはじまったといわれ、500年にわたって日本人に受け継がれ、年々盛んになっています。
日本橋七福神めぐりは、他所とは異なり、すべて神社で構成されています。
巡拝距離も短く、日本で一番巡拝が短時間に参拝できるのが特長です。
日本橋通りや人形町通りは、江戸下町の伝統を持つ繁華街。
懐かしい下町情緒に触れながら、参拝いただきますよう、御案内申し上げます。
出発点は定めておりませんので、御自由にお巡りください。
日本三大稲荷のひとつ茨城県・笠間稲荷神社は笠間藩主牧野家に より代々厚い信仰が寄せられてきた。江戸時代末期安政6年 (1859年)藩主牧野真直公が笠間から御分霊を江戸下屋敷(当地) に奉斎したのが始まり。以降、牧野家のみならず日本橋魚河岸の 守り神として、五穀・水産・殖産興業の守護神として商人庶民問わず広く信仰を集めた。寿老神は長寿の神にしてお導きの神・幸 運の神として人々の運命を開拓して下さる福徳長寿の守護神です。
中央区日本橋浜町2−11−6 MAP
03−3666−7498
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健康長寿の福禄寿と財運向上・学芸成就の弁財天は、神社と同じ 境内地にあった万福寿寺におまつりされていました。稲荷神を主 祭神とする小網神社は約550年前の文正元年(1466)悪疫鎮静の 神として鎮座。太田道灌公の崇敬も篤く、社名も道灌公が名づけ たといわれます。社殿(昭和4年建立)が戦災を免れたり、同神社 の御守を受け戦地に赴いた兵士全員が無事帰還したことなどから、 近年「強運厄除の神」として信仰を集めています。
中央区日本橋小網町16−23 MAP
03−3668−1080
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久留米藩第9代藩主、有馬頼徳公「ありま・よりのり」が、加賀 藩第11代藩主、前田斉広公「まえだ・なりなが」と、宝生流能楽 の技を競われた際、弁財天に願をかけ、見事に勝利を収め、それ 以来、宝生弁財天と敬われている。芸事をはじめ学業・金運のご 利益が名高いと現在に至るまで篤く信仰されている。また、水天 宮本殿についても文政元年(1818)に江戸上屋敷(三田赤羽橋) の邸内に祀ったことが始まり。
中央区日本橋蠣殻町2−4−1 MAP
03−3666−7195
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当社は慶長元年(1596)以前に稲荷祠として鎮座。この地にあっ た葭原(吉原)の氏神として信仰された。延宝3年の社殿修復の 際に中啓(末廣扇)が見つかったことから末廣神社と名付けられる。 幕府に仕える武家からの崇敬も篤く、旗下火消頭に庇護や祭事の 奉仕もさせている。毘沙門天の御神徳は勝運向上が有名だが、そ の昔当社は疫病鎮めの信仰も集めたことから病気平癒はもちろん、 厄除け、財運向上、福徳繁栄など多聞天の別名のとおり、今では様々 な御神徳を求めて祈願する参拝客が多い。
中央区日本橋人形町2−25−20 MAP
03−3667−4250
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遠く一千年の昔創建にして、天慶三年(1940) 田原藤太秀郷戦勝 を祈願し強敵を亡ぼす、偏に神助に依ることと、白銀の狐像を奉 納す。文正の頃、関東一帯連年旱魃ありて、太田道灌、当社に詣 で乞い祈らばその霊験あり、尊敬のあまり山城国稲荷山五社大神 を祭祀す。特に神道家の吉川惟足は信仰厚く、五社稲荷の一社な る大己貴大神の御宣託に依り、恵比寿大神を奉斎せられ、今日に 至るも年々盛大に、祭典を執行せり(10月19・20日)。江戸時代 の富興行を記念した富塚があり、宝くじ祈願の参拝者も多い。
中央区日本橋堀留町1−10−2 MAP
03−3661−5462
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創建は口伝によると、鎌倉時代の元亨(1321) 以前と推定される。 昔この辺りが入り海であった頃小島があり、柴田家の祖先が下総 の国からこの小島に移り住み、邸内に諸神を勧請し、夜毎掲げる 燈火を目標に、舟人が航海の安全を得たと伝えられる。天正13 年(1585) 2月13日、邸宅を公開。島内松樹鬱蒼たるにより、人々 松島稲荷大明神と唱えた。御祭神は大国主神をはじめ、ご神格の 高い神様が、14柱と他社に比べて多い。
中央区日本橋人形町2−15−2 MAP
03−3669−0479
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